子どものなかの「自然」を育てる ― 愉気(ゆき)ってな~に?

2018年04月11日
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こんにちは
浅井あきよです。

私は学生の頃、幼児教育の勉強をし
幼稚園と小学校の教員免許も持っていたのですが

実際の子育てをしてみて
本の知識はいざという時にあんまり役に立たない
と感じました。
愉気(手当)など、からだですること
のほうにこそ、実際の子育てには
役にたちました。

 

以下は
こどものこころにふれる「整体的子育て」の中に
文があります。
著者の山上亮先生の許可を得て、
引用してみますね。


“子どものなかの
「自然」を育てるー愉気(ゆき)
わたしはふだん、家庭でできる「手当」として
「愉気」というものを教えています。

「愉気」というのは、痛いところや気になるところに
掌で呼吸をするようなつもりでジーっと手を当てるという
ほんとうになんでもない、まさに文字どおりの
「手当て」のことです。

この「痛いところに手を当てる」というのは
無意識的で本能的な振る舞いで
生物が進化の中で身につけた「自然の手当て」
なのです。

ある日の講義中、お母さん相手の私の話に
すっかり飽きた子どもたちが、
いつものようにワーッと
走り回っていました。

そうしたら
一人の子が振り回していたおもちゃが、
別の子どもの頭にゴツンとぶつかり
その子が泣き出してしまいました。

おもちゃを振り回していた子も
ほかの子たちも、何事かと
一瞬止まってその子を見守ります。

するとひとりの子が泣いている子に近寄り、
顔をのぞきこみながら
「痛い?愉気してあげるね」と言って
ぶつけたところにスッと手を当てたのです。
泣いていた子も素直にじっと愉気を受けています。

そのうち涙も止まりだんだん落ち着いてきたと思ったら
愉気してくれているともだちの手を外し
「もう大丈夫」なんて言って健気に笑いました。

それを聞いて、愉気していた子も安堵の表情。
そしてふたたびいっしょにあそびはじめたのですが
その光景を見て
わたしは家庭で愉気をしていることの大切さを、
しみじみと感じさせられました。(以下略)„

 
この後さらにこのように続きます。
 

“「この愉気してあげる」と自然に手が出た
この子のお母さんは、おそらく
普段からよく愉気を実践していて
子どもの調子が悪いときには、いつだって
すぐに手を当て、じっと
その子に集注しているのでしょう。

その子にとって、それは「自然の振る舞い」で
だから考えるよりも前にからだが動き
「自然の手当て」ができたのです。

愉気を実践してゆくということは
単なる応急処置にとどまらない、
子どもの中の「自然」を育てる行為なんだと
子どもにおしえられた出来事でした。„

(クレヨンハウス刊「整体的子育て」より)

 

赤ちゃんの時から、
いや、おなかの中から
愉気をして育てていたら
いちばんいいですが
今からでも大丈夫!

いつも、お母さんが子どもに
してあげるでなくて大丈夫。

お母さんが始めて
みんなで愉気をしあう家庭文化が
育つのはまだ小学生くらいなら間に合いますよ。

 

ただ「手を当てる」だけ
かんたんと言えば簡単
それだけに、大人は「これでいいのかしら?」
とか、いろいろな不安、迷いが去来しがち。

だから、できれば
その道のプロから教わると
その辺の対応も聞くことができます。

子どもの中の「自然」を育てる

本来「自然」である存在の子ども、のはずですが

でも、今はそこに焦点を当てて
育てるという意識を持つことが
必要な世の中なのだなぁと思います。

 

とっても簡単な「愉気」
でもその良さは、知識ではなく
実践するところから。

子どもと一緒に
愉気も身に着けることのできる
貴重な機会が
山上亮先生の「整体的子育て講座」です。

今年は年4回だけの開講です
詳しくはコチラから
【整体的子育て講座】

(浅井あきよ・記)